1.NKS研究会とは
「日本語教師の専門性を考える研究会」(以下、NKS研究会)とは、その名のとおり、日本語教師の専門性を考えるための研究会である。
近年、日本においては、2019年6月に「日本語教育の推進に関する法律」(日本語教育推進法)が制定され、2024年4月から「日本語教育の適正かつ確実な実施を図るための日本語教育機関の認定等に関する法律」(日本語教育機関認定法)が施行されるなど、外国人材の受け入れ拡大にともなう日本語教育の制度化が急速に進行している。このような状況を受け、日本語教育への注目が高まっている。
しかしながら、日本語教育の担い手となる「日本語教師」の内実に関しては、いまだに社会的に十分に認知されているとは言い難い。「日本語教師の仕事は日本語を教えるだけ」「日本人ならだれでも日本語を教えることはできる」といった偏見も根強くある。一方で、「日本語教師」が実際に関わっている分野は実に多彩であり、業務内容も幅広く、求められる技量も奥深い。そのため、「日本語教師」の実態を把握することはなかなか困難である。
本研究会では、上述したような状況を踏まえ、「日本語教師とは何をする人か」、つまり、「日本語教師の専門性とは何か」をあらためて問い直す。具体的には、日本語教師の専門性を追求し、発信していくとともに、すべての日本語教師が一度はぶつかるであろう「日本語教師」の実存に関わる問いについて、対話をとおし考えていく。なお、ここで言う「日本語教師」とは、日本語教師を自認するすべての人を意味する。
2.私たちがめざす社会のイメージと「日本語教師」が担う役割
私たちNKS研究会は、「日本語教師」を共生社会の実現に寄与する存在であると考えている。そのため、私たちは共生社会をめざすべき理想の状態としてイメージしながら、活動する。以下、私たちがイメージする共生社会について述べる。なお、私たちは、めざす社会を考えるための前提として、社会を自分たちとは独立して存在するものではなく、自分たちがイメージすることによって立ち現れるものであると捉えている。
私たちにとって共生社会とは、一人ひとりが固有の文化を有する唯一無二の存在であるという認識にもとづき、誰もが対等な関係性の中で自分らしく暮らせる社会である。
共生社会は、「自由の相互承認」、つまり、社会を構成する個人と個人がお互いを対等で自由な存在であると認め合うことを前提とする。そのため、共生社会においては、個々人の個性、および個性に応じた生き方が尊重される。また、個々人の存在が有用/無用という基準で否定されたり、評価されたりしない。
また、共生社会は基本的人権の尊重と民主主義を前提として構築される。
基本的人権の尊重とは、人が生まれながらにして持つ権利を尊重することである。日本国憲法13条では、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とされている。また、第14条第1項では「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とされている。共生社会においては、誰もが個人として尊重されるとともに、属性、信教、思想等により存在することを否定されず、自分らしくいられる居場所があることが保障される。
民主主義とは、市民一人ひとりが社会を形成する政治的な主体として、自由で対等な立場から対話することをとおし、公共の福祉について考えるという思想である。共生社会においては、出自/母語/母文化等に関係なく、誰もが政治的主体として排除されることなく、対話の場を構成する主体となることが保障される。
現在の日本において、日本語を母語としない人は、「自由の相互承認」の対象として捉えられていない。また、基本的人権が尊重されておらず、民主主義を担う政治的主体として排除されている。つまり、現在の日本においては、多様な人々が共生している状態、すなわち共生社会はいまだ実現していない。
すでに述べたように、私たちは、「日本語教師」を上述したような共生社会の実現に寄与する存在であると考えている。共生社会、すなわち誰もが対等な関係性の中で自分らしく暮らせるようになるためには、その出発点として、ことば(日本語)による対話をとおし、お互いに自身の文化(固有の経験、それにもとづく固有の価値観)を表現し合うことにより、お互いを個人として理解し合う必要がある。その際、「日本語教師」は、個々人が日本語により自身の文化を表現し合うことを支援するという役割を担う。
3.私たちの活動内容
「日本語教師」が共生社会の実現に寄与するためには、個々の「日本語教師」自身もまた対話をとおして、「日本語教師」としての自身の文化、すなわち「日本語教師」としての固有の経験、それにもとづく固有の言語観、日本語教育観、社会観を理解したうえで、日本語教育実践に携わる必要がある。そのために、私たちは、「日本語教師」に日本語教師としての自身の文化が理解できるような対話の場を提供する。
また、特に日本においては、多数派を構成する日本語を母語とする人々こそが共生の担い手とならなければならない。それゆえ、共生社会を実現するためには、日本語を母語とする人々に対する働きかけが必要不可欠となる。そこで、私たちは、日本語を母語とする人と日本語を母語としない人が日本語による対話をとおし、お互いに自身の文化(固有の経験、それにもとづく固有の価値観)を表現し合うことをとおし、お互いを個人として理解し合えるような場を構築する。
さらに、「日本語教師」のみならず、外国人受け入れ政策に関わる行政担当者、あるいは広く日本に在住する人々に向け、共生社会の重要性を説明する活動を行う。
4.私たちの活動指針
私たちは共生社会の実現に向け、上述したような日本語教師、および日本語を母語とする人々に働きかけるための活動を行う。活動を行うにあたっての指針は次のように図示できる。

私たちは諸活動を行うにあたり、ことばの力への信頼を最も基本的な指針とする。誰であっても、自身の経験やそれにもとづく価値観がはじめからわかっているわけではない。自分の経験や価値観は、多くの場合、他の人とのやりとりをとおして、少しずつ言語化しながら、事後的にわかるようになる。言い換えれば、個々人の経験や価値観は、たとえ自分のことであったとしても、言語化しなければ、認識することができない。つまり、ことばには個々人の経験や価値観を生成する力があるということである。
このようなことばの力は、他者と協働することをとおし、発現する。協働とは、あるコミュニティにおいてお互いが対等な存在であるという認識のもと、対話のプロセスをとおし、お互いにとって有益であると思える新たな認識・知識を創造することである。こうした協働という行為を成立させるために、個々の参加者には次のような態度が求められる。
・多様性:人はそれぞれ異なっており、一人として同じ人はいない。
・公平性:誰一人、不利益や不都合を被らない。
・包摂性:誰一人、排除せず、誰もが参加できるようにする。
上述したような協働は対話により支えられる。対話とは、ことばによるやりとりをとおし、お互いの経験や考えを構築するとともに、お互いの経験や考えを理解することである。こうした対話という行為を成立させるために、個々の参加者には次のような態度が求められる。
・共感:対話の中で自分とは異なる価値観や考え方を持つ他者に自己を投影し、相手が何を考えているか、どう感じているかを想像する。
・傾聴:対話において、お互いにわからないということを前提に、効率的に結論を導こうとするのではなく、相手の語りに真摯に耳を傾ける。
・柔軟性:お互いの弱さを認め合いつつ、お互いに自身に信念にこだわりすぎない。